国指定文化財

銅造薬師如来坐像
  銅造薬師如来坐像(どうぞうやくしにょらいざぞう)
【国指定重要文化財(彫刻)】
 
【所在地】 栄町龍角寺239
【指定年月日】 昭和8年1月23日

「高二尺九寸七分(98センチメートル)頭頂より顎に到る九寸(29.7センチメートル)頭部と胴体とは別作である。頭部は火中したものであるが焼損した裡にもよく当初の形容を保持して奈良朝の様式を現じ、その豊満な相貌は眉目鼻口における鎬立つた彫法によって引き締められ偉容を示している。胴体は当初のものが焼損甚しかったので、近世像を全からしめるために作り接いだもので、その衲衣の衣文等当初のものによったらしく奈良朝様式の面影がある。その製作年代は本像を本尊として安置する堂の建立された元禄に擬すべきであろう。なお、本寺境に奈良朝式の塔心礎が遺存し又同様の多数の瓦片が出土するので奈良朝にここに伽藍のあったことが考えられ、本像は関東地方に於けるその頃の造像のことを知る上にも貴重すべきものである。」

【文部省告示第15号:国宝指定、昭和25年8月29日付、文化財保護法第115条:重要文化財指定】
形状:如来形、肉髻及び地髪はタガネにより荒くはつって成形、頭髪部と肉身部に段差あり。肉髻の2箇所に渡金の跡が見られる。肉髻珠、白毫なし。眉、上瞼、上唇、下唇にタガネ仕上げが施されている。鼻下及び、下唇に人中を表す。耳朶環状。三道を表す。大衣、偏衫を着けて、右足を前に結跏跌坐。大衣の裾が台座前方に垂下。左腕は膝上で薬壺を持つ。右腕は屈臂して施無畏印を結ぶ。胸の抑揚はほとんど表さない。腹部は一条の弧線とする。(栄町史編さん委員会)
法量:総高159.7センチメートル 像高89.7センチメートル 頂~顎27.4センチメートル 髪~顎18.7センチメートル 耳張9.9センチメートル 面奥21.8センチメートル 面幅 16.8センチメートル 肉髻径(幅)13.5センチメートル(奥)13.2センチメートル 剄部径(幅)13.0センチメートル(奥)13.4センチメートル  。

 

龍角寺境内ノ塔阯
  龍角寺境内ノ塔阯(りゅうかくじけいだいのとうあと)
【国指定史跡】
 
【所在地】 栄町龍角寺224-2他
【指定年月日】 昭和8年4月13日

龍角寺本堂(現本堂跡)の東約十三間(約23.4メートル)にあり。今心礎を存するのみ、心礎は長径(2.49メートル)短径(2.03メートル)の花崗石の表面を削平し、中央に直径(外径81.8センチメートル、内径66.6センチメートル)深さ(12.1センチメートル)の円孔を穿ち、その両側なる表面に水気抜の小溝を刻せしものなり。附近に奈良朝時代の古瓦片を発見せり。」

【文部省告示第186号:史蹟指定】
「龍角寺縁起」によれば、七重とも三重の塔ともあり、柱座径から高さは33メートルほどと推定されている。  なお、「不増不減(ふぞうふげん)の石」として龍角寺の七不思議の一つに数えられている。

 

龍角寺古墳群・岩屋古墳
  龍角寺古墳群・岩屋古墳
(りゅうかくじこふんぐん・いわやこふん)
【国指定史跡】
 
【所在地】 栄町龍角寺字池下1601他
【指定年月日】 昭和16年1月27日
【追加指定年月日】 平成21年2月12日

印旛沼の北東岸、栄町酒直・龍角寺から成田市大竹にかけて所在する龍角寺古墳群は、古墳時代後期(6世紀)から終末期(7世紀)に形成されたと考えられる県内でも有数の大規模古墳群で、現在総数114基を数える。
北方に存在し、白鳳仏を有する龍角寺は7世紀後半の創建といわれ、また、北西に位置する律令制下の埴生郡衙(はにゅうぐんが)跡等の遺跡群との関連から考えると、現在の栄町周辺に本拠を置いた豪族が、大和王権が東国支配を強めていく過程で王権の代行者という地位を獲得し、律令国家成立以降も国家機構の一翼を担う在地勢力になっていったと推定することができ、その歴史的意義が高く評価されている。
これまでは、岩屋古墳のみが史跡に指定されていたが、今回の追加指定で、「三ヶの岩屋」の一つに数えられるみそ岩屋古墳や、埴輪の樹立が復元された龍角寺101号墳、県内最後の前方後円墳と言われる浅間山古墳等を含む93基が「龍角寺古墳群・岩屋古墳」という名称で国指定史跡になった。成田市を含めた全体の指定面積は44万5千平方メートルで、千葉県で最も広い面積の国史跡である。
岩屋古墳は、三段築成で、一辺78メートル、高さ13.2メートルを測り、古墳時代終末期の方墳としては、全国第1位の規模を誇る。埋葬施設は切石積横穴式石室(貝化石を含む軟質砂岩、天井の一部が筑波山系片岩)で、東西2室が並んでいる。最後の前方後円墳である浅間山古墳(龍角寺111号墳)に後続して築造されたと推定され、龍角寺の創建に係り、後の埴生郡司につながる印波国造一族の墓と考えられている。平成20年に行われた測量調査では、石室が開口する墳丘南側の 崖面に、古墳築造時の物資の搬入路或いは古墳完成後の墓道、祭祀場に利用されたと考えられる舌状張出地形の存在が確認された。
岩屋古墳の存在は古くから知られており、天正19年の「下総国埴生庄龍角寺之郷水帳」によれば、すでに岩屋が開口していたことがわかる。また、龍角寺の七不思議の一つとして、三ヶの岩屋の隠れ座頭の椀貸し伝説が残されている。

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