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広報さかえ3・4月号「先人たちの足跡」の訂正について

広報さかえ「先人たちの足跡」の訂正

 

広報さかえ3・4月号の先人たちの足跡の記事で、誤りがありましたので、お詫びして訂正いたします。
訂正箇所は、下記の通りです。

 

3月号の訂正箇所について

:龍角寺は中世から近世にかけて度も火災に見舞われてきました。最後の火災である元禄5年に薬師如来坐像は胴体を失うことになります。

:龍角寺は中世から近世にかけて度も火災に見舞われてきました。4度目の火災である元禄5年に薬師如来坐像は胴体を失うことになります。

※「龍角寺縁起」の記述を根拠としています。

 

4月号の訂正箇所について

:「かつて印旛沼_には、江戸時代初期まで、栃木県から流れる鬼怒川と小貝川が注いでいました。霞ヶ浦や北浦にもつながっていて、香取海や香取浦と呼ばれる広大な内海を形成していました。琵琶湖にもなぞらえられるほどに広大な水域で、中世には漁夫と呼ばれる漁労関係者が港湾を管理していました。平安時代末に成立した『今昔物語集』において、「(鬼怒)河ノ尻ヤガテ海ノ如シ」と称されるほどで、船が行き交うほどに賑わったところでした。」

: 「かつて印旛沼(印旙浦)には、江戸時代初期まで、栃木県から流れる鬼怒川と小貝川が注ぎ、霞ヶ浦や北浦にもつながっていて、香取海や香取浦と呼ばれた広大な内海を形成していました。琵琶湖にもなぞらえられるほどに広大な水域で、中世には漁夫と呼ばれる漁労関係者が港湾を管理していました。平安時代末に成立した『今昔物語集』において、「(鬼怒)河ノ尻ヤガテ海ノ如シ」と称されるほどで、船が行き交うほどに賑わったところでした。」

 

:「古代において、龍角寺古墳群は、“下総国”に位置していました。古代の下総国は、千葉県の北部と、東京都の葛飾区や茨城県の古河市(現常総市)を含む地域でした。」

: 古代において、龍角寺古墳群は、“下総国”に位置していました。古代の下総国は、千葉県の北部と、東京都の葛飾区や茨城県の古河市などを含む地域でした。

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